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両親と話していると、実際には減っているのに、「最近は凶悪な犯罪が増えた」、「少年犯罪が増えた」と嘆かれることがあります。
私の認識では、犯罪という面で見れば世界はかなり幸せになっているし、少なくとも米ソ冷戦時代の時期と比べると「世界戦争」という言葉にもリアリティが遥かに減っています。
一方で、世の中を暗いと見る人が多いのは、マスコミが不幸なニュースを流しているからと考えています。たしかに、誰かの不幸、凶悪な犯罪をマスコミは取り上げたがるし、一面は殺人事件や災害のニュースばかりな気がします。
また、ツイッターなどのソーシャルネットワークでも、「うわー、**の店ヒドイ!」とか「コーヒーこぼしちゃった ><」と書いた方がみんなに絡んでもらえそうなので、不幸なことを書きたくなるというのはありそうな話です。
それでは、私たちの身の回りには、幸福な情報と不幸な情報のどちらが多いのでしょうか?
最近の研究で、アメリカの大手新聞ニューヨーク・タイムズの20年分、グーグル・ブックプロジェクトの1520年以降の本、ツイッターの情報、過去50年分の歌詞を分析したところ、それら全てで幸福なことばの方が不幸なことばよりもたくさん使われていることが分かりました。下の図はそれぞれの研究での上位5000ワードが、幸福な単語か不幸な単語かを示したものです。黄色の幸福なことばの方がかなり多いことが分かります。

(図は参考サイトより引用)
これは、少し意外な結果ではないでしょうか?たしかに本や歌詞なら、幸福な言葉の方が多くても納得です。しかし、新聞では、幸福な言葉よりも不幸な言葉の方が多そうな印象があります。しかし、実際には新聞でも幸福なことばの方が多いのです。
結局、私たちは自尊心のためか、生きていくためか分かりませんが、幸せな情報を求めている、もしくは幸せな情報を流したいようですね。私は、世界は不幸な情報に溢れていると思っていたのですが間違っていて、実は世界は幸せな情報にあふれているようです。
この記事はバーモント大学の”Study: We May Be Less Happy, But Our Language Isn't”を参考に書きました。
(文: SY)