2012年11月01日
透明性の錯覚
他人は、あなたが思っているほどあなたの心を読み取れません。
ほとんどの人は、スピーチすることが嫌いです。スピーチについて考えると、手のひらに汗をかき、胃がしめつけられてしまいます。
スピーチでは、観衆があなたを見つめていて、戸惑ってしまいます。そして、観衆はあなたの困惑に気づいてしまいます。
でも、本当に気づかれるのでしょうか?私たちは、内面ではとても戸惑って神経質になっていても、他人は表情やスピーチや他の振る舞いから何かを読み取ることができるのでしょうか?
これを実験で確かめると、面白いことに気づきます。
SavitskyとGilovichの2003年の即興のスピーチをするという実験で、被験者は自分の心配を評価して、観衆の評価と比較しました。
この実験から自分が他人にどのくらい心配しているように見えるかを、人は過剰に見積もる傾向があるということが分かりました。この実験の結果は、他人が実際よりも多くのことを外面から読み取っていると考えていることを示しています。
GilovichとSavitskyの1999年の研究では、他人は、実際よりもより自分の嘘に気づき、マズイ飲み物を飲んだ人はよ気づかれ、舞台に上げられた人は観衆がより自分を見ていると思うのです。
このことは、簡単なことを教えてくれるかもしれません。スピーチについての研究すると、自分が感じているほど他人には神経質には見えないということを話す人がいます。このような人はよいスピーチをすることができます。これは、自分の緊張によって、スピーチがひどくならないからです。
・歌のリズム
心理学者はこれを「透明性の錯覚」(illusion of transparency)と呼びます。透明性の錯覚というのは、自分たちの感情が他人には透けて見られてしまう、もしくは実際に思っているよりも透けて見られれてしまうと感じるというものです。
これを確認するには、何か有名な曲のリズムでトントンと机を手で叩いて、それが何の曲かを友達にあててもらえばいいでしょう。
Newtonの1990年の博士論文で、この実験をした時に人は約50%の相手が曲を分かると思いました。しかし、実際にはとても曲を当てるのは難しく、3%以下の相手にしか分かりませんでした。
使った歌は「ハッピーバースディ・トゥ・ユー」と「星条旗よ永遠なれ」なので、とても有名な曲だったのは間違いありません。
実際にこのテストをすると、あまりに簡単な曲のはずなのに相手が分からないことに驚くかもしれません。あなたにとってはコードなしでリズムだけを手で叩いていているのですが、相手はそのコードを聞いていないことを忘れているのです。
同じようなことは、文書でのコミュニケーションでも起こります。あなたが、完全に分かりやすい文章でメールを書いても、言葉の解釈は様々なので、時々その意図が相手に伝わるまでに意味がねじ曲げられたり、変わってしまったりします。
このことはもちろん、私たちの考えや感情は他人に全く伝わらないということではありません。しかし、透明性の錯覚は、日常生活においてかなり影響を与えており、常に意識する価値があります。
「しかし、私がどう感じているかは明らかだと思うんだけど...」
こんなことがどうして起こるのか教えてくれます。
この記事はPsyblogの"The Illusion of Transparency"を翻訳したものです。
(※文中の太字は訳者によります)
(翻訳・絵: やまざきしんじ)
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